革命前夜

その昔、アメリカで公民権運動の嵐が吹き荒れる1950年~1960年代。キング牧師マルコムX、ネヴィル・ブラザーズがThank you ! Miss Rosa と歌っているローザ・パークス等に代表される公民権運動のアイコン達の物語は我々音楽を愛する者達の中でも特に知られている。

それを遡ること遥か昔、リンカーンの奴隷解放宣言が成されたのが1862年。しかしミシシッピー州やルイジアナ州等の一部地域では奴隷解放宣言の対象外とされる等、解放宣言後もまだまだアフロ・アメリカン達の生活環境は凄惨を極め、季節労働者としてミシシッピー川流域からルイジアナ、テキサス等へ渡り歩く者が多く居た。

厳しい労働の後黒人達が集う酒場にはピアノ等が無い店が多く、安物のギターをつま弾いて歌うのが常。そんな黒人達の酒場音楽はブルースと呼ばれるようになった。広大なミシシッピー川河口域の三角洲、所謂デルタ地帯で発祥したと言われるデルタ・ブルース。シカゴ等都会へ流れ進化してバンド形式になった物をアーバン系、デルタ等田舎酒場の音楽はカントリー系等と呼ばれた。

1920年代、ある日カントリー・ブルースを歌う黒人ブルースマンの前に録音機器を携え白人がやって来る。現金を渡し「歌え」と。自分の音楽が金に成るなど考えた事も無かった彼等は喜んで歌い演奏しほんの僅かな金を手にした。録音された彼等のオリジナル・ブルースがレコード化され白人達に多くの利益をもたらしているとも知らずに。

2000年代まであと僅かになった頃、ポール・マッカートニーが「未だに自分でヘイ・ジュードイエスタデイを歌うのに膨大な使用料を支払わなければならないんだ。」と嘆いていた。
P.A.システムなど存在しなかった時代に大規模なスタジアム・コンサートを行い、自作自演の先駆者と言われ商業音楽の歴史を変えたビートルズでさえ田舎から出て来て右も左も解らぬ若造時代に結ばれた不条理な契約に縛られていたのだ。
ビートルズの楽曲使用料は膨大なれどポール・マッカートニーともなれば例えそれが入って来なくても十分過ぎる程の成功者なのは周知の事実だ。
しかし彼は金のために自分達の楽曲の版権を買い戻す裁判を延々としていた訳では無い。
本来権利を持つべき者へ戻すためである。

時と所を変えて現在の日本はどうなのだ?


徴収する法は有るが、分配するシステムが存在していない。
シンプルに言えばこれに尽きる。

その権利が1曲1回僅か数円の事であってもアーティスト/ミュージシャンはそれを放棄してはならない
お金の問題では無い。アーティスト、クリエーターとしてのプレゼンス、存在意義そのものに関わる事なのだ。

著作権管理団体サンプリング調査の行われなかった日、行われなかった店で誰かが誰かの曲を歌い演奏しても権利者のもとへ使用料は支払われない。元々使用料が徴収されていないのならまだ話しは判る。しかし包括著作権契約の名の下に演奏者も演奏の場を与えた店(ライブハウス等)も使用料を支払っているのに、だ。
尊敬敬愛している先駆者達へ自分達が演奏することにより僅かでも使用料が渡り、恩返しが出来ると思って正当に支払った使用料(当然だが支払うお金は観客が払ったチケット代が元になっている)が権利を所有するアーティストへ正当に渡っていないのだ。

私は提案する。個別に楽曲の実演データを記録/申請して正確に権利者へ分配/支払いが成されるシステムを。